イベントを創る過程でみつけた自分 part.1
- haruna inagake
- 2018年7月5日
- 読了時間: 2分
わたしの文章って、なんだか上から目線に感じませんか?
自分でも、冷酷さというか、超現実的というか、を、感じます。
でもそれは、どこかで意図的なものかもしれない。無意識ではあるけれど。
自分に対しての意図。
自分を律してるというか。
強く引っ張ると反発する、
でも、わたしは強く引っ張ってる意識もなくて。
でも、強いんだろうなあ。
正しいとか間違いとかないよ、
ジャッジ手放そう
っていいながら、
また正しさの証明をしてるなー、な自分を感じる時が多々あります。
それがわたしの文章の根底の温度なのかもしれない。
ぐるっとまわって、
いまは、その自分の素質すら手放さなくていいように感じてる。
当然、
私はこの人苦手だな、この文章苦手だな、って思われることは知ってるし、理解してる。
苦手と認識してもらえることすら、なんだか有難いと感じてる。
それで、
どこを苦手って感じるんだろう?苦手って感じるのなんでだろう?って思ってもらえたら嬉しい
なんて、思ってるつもりだけど、
究極的には私は本当は手放したくて、
そんな自分を救いたくて、こういう活動をしているのかもしれないな。
私の好きななおこさんのこの記事。
嫌いな人を作っちゃいけない?
嫌いな食べ物は作っていい?
好き嫌いって、そもそもどこから来るの?
そう感じる、自分のあり方って、どうしたら意識できる?
なんども読み返すこの頃です。
https://ameblo.jp/mstnr1115/entry-12378046111.html
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