もし今あなたに、「以上でも以下でもなく、ただそうであることを感じること」に、?? が浮かぶなら
- haruna inagake
- 2018年7月14日
- 読了時間: 2分
更新日:2018年7月14日
おはようございます、harunaです。
夏の朝って、本当に気持ちがいいですね。
1日のうちで1番この時間が好きです。

さて今朝は、女性性について書く前に、ふとお伝えしたいことが湧いたので記事を書きます。
皆さん、こんな風に思った事はありませんか?
「以上でも以下でもなく、ただそうである」と、ただ感じてみてください。
を、やってみてるけど、ちゃんとできているのか分からない。わからなくて、なんだか不安な気持ちになる。もやもやしてる。
私は、戻るところは”自分だけの純粋なワクワク感だったり、ホッとする安心感”だと思っています。
(だから、私の言葉で不安になっている方がいるなら、ほうっておきたくないんですよね。)
私たちが住む日本は、”正しいか正しくないか”と言う価値観を採用しています。
そしてそれは、学校教育を通じて、私たちの中に深く根ざしています。
では、お隣韓国はどうでしょうか?
韓国では、”損か得か”と言う価値観を採用しています。
日本人にとって、”損か得か”で行動することは間違いと感じるでしょう。
でも、”損か得か”で生きることはその人の価値観であって、正解も不正解もないんです。
ここにすら、”正しいか正しくないか”をジャッジしたくなるのが、日本人の価値観です。
それくらい、価値観って、無意識なんです。
それで、「以上でも以下でもなくただ、そうであると感じる」ことが、自分はちゃんと出来ているか?という疑問が湧くのって、
この、”正しいか、正しくないか”の視点で自分をみてるんですよね。
自分は、正解が出せているか?出せていないか?
っていうことです。
こたえは、全部正解だし、全部正解じゃない。
正解も不正解もないんです。
でも、矛盾するようですが、
「以上でも以下でもなくただそうであることを感じ、受け入れる」ことを、まだはじめたばかりの方は、
こたえは”全部正解”って思ってください。
こたえは、全部、自分の中にあります。
自分の内側は全部正解。
外側に、正解って、ないんです。
「以上でも以下でも無く、ただそうであることをただ感じ、受け入れてください」
っていうことの目的は、
事実を問題視して解決策を考えにいくんじゃなくて、(ついつい、考えますよね。私もそうです。)
怒ってる自分も、悲しい自分も、苦しい自分も、全部わたし自身の一部。
悪者扱いしたり邪魔者扱いせずに、ただの事実として観察して、
「ああ、いま私はネガティブな感情を抱いているのね」
「そうなのね」
と、そこで一息ついてほしいなあ、なんです。
別に悪者でも邪魔者でもなければ、一緒に居ても良くないですか?
ほっとする安心感に、ぜひ自分を戻してあげてください♪
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